浄土宗と淨心寺行事・法要淨心寺だより淨心寺の四季住職の寺社めぐり住職日記 Part3そんなこんなで日記
浄土宗の歴史と淨心寺の沿革、境内・庭園の様子ご紹介します。
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  • Re: 旧本堂の古い写真
    書類を整理していて、偶然貴重な写真が出てきました。 今後も大事に保管しようと思っております。 ...

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    昔々祖父の隆澄が住職してた頃に遊びに行った風景の写真 なつかしいです。おじいちゃんの古い写真 ...

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    旧・住職日記
    住職日記 Part3
    浄土宗と淨心寺についてご案内いたします。
    記事一覧
    浄土宗についてのお話
     沿 革
    法然上人は、承安5年(1175)3月、中国唐代の善導大師著書『観経疏(かんぎょうしょ)』の一心専念の文により、万人救済の宗教は口称念仏の一行にあるのみ、という確信を得た。この時より以後、法然上人は比叡山を下り、 東山の吉水におもむいた。そこに草庵を築いて往生極楽の法を説き、念仏を人々にすすめられる生活に入られた。法然上人の念仏の教えは、いつどこでも誰にでも行える念仏であったので、法然上人の東山の庵室には老若男女の別なく、多くの人々が集まり次第に集団を形成することとなった。この時をもって浄土開宗としたのである。
     それ以降800年の時を経て浄土宗檀信徒600万人。浄土宗寺院約7600ヶ寺が、日本全国はもちろん海外にも建立されて、全世界に念仏の教えが広まり現在に至っている。


     開 祖
     浄土宗の開祖は、法然上人である。幼名を勢至丸(せいしまる)といい長承2年(1133)4月7日岡山県に生まれる。9歳の時に夜襲によって父を失い、その遺言により仇討ちの繰り返す悲劇をいとい、多くの人々を救済するために出家した。15歳で比叡山に登り、18歳の時に、西塔黒谷の叡空(えいくう)の室に入り、法然房源空(ほうねんぼうげんくう)と号した。承安5年(1175)3月、43歳の時に善導大姉の『観経疏(かんぎょうしょ)』によって、阿弥陀仏の本願の真意を感得し、専修念仏の教えを開いた。比叡山を下山して京都東山吉水の地に庵をかまえ、多くの人々に念仏の教えを説いた。66歳の時に『選択集』を著して浄土宗の教義を確立した。建永2年(1207)弟子の罪を問われて四国に配流された。建暦元年(1211)京都に召還されたが、翌年(1212)1月25日世寿80歳の生涯をとじた。


     教 え
     阿弥陀仏の平等のお慈悲(じひ)である、「必ずすべての衆生を救う」という誓願を信じ、お名号「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を口で称え、命終わるとき阿弥陀仏が造られた西方極楽浄土に生まれることを願う信仰である。

    淨心寺のご案内
     ご 挨 拶
    聖号十念称

     淨心寺ホームページを開設するに当たりまして一言御挨拶申し上げます。

     平成14年5月12日の淨心寺本堂落慶式並びに第廿三世勝譽敏企晋山式以来寺門興隆に勤めて参りました。定例行事の見直し、彼岸中日別時念佛会、寺報『淨心寺だより』発刊、本堂落慶お礼団体参拝、法話・別時念佛会等々行って参りました。今後も皆様にいろいろな形で新しくなりましたお寺を利用して頂き、皆様の心の拠り所となるよう、精進して参りたい所存です。

     その一環と致しまして、かねてより念願でありました淨心寺ホームページを開設することになりました。このホームページを通しまして浄土宗の教えのもと、日々精進に勤めお寺を中心に益々お念仏の声を檀信徒の皆様はもちろんのこと、世の中にひろめてまいりたいと存じます。

     開設に当たりまして、まずは御挨拶とさせて頂きます。    合 掌
    淨心寺第廿三世住職 荒木 敏企


     寺 院 概 要
     
    寺 名 一佛山光明院淨心寺
    宗 旨浄土宗
    所 属総本山知恩院末寺
    創 建天正6年(1578年)
    開 山存蓮社唯称泉譽上人
    開 基光明院殿一譽脱叟淨心大居士
     小笠原但馬守貞政
    中 興第十三世 明譽上人
     第廿世 締譽上人
    住 職第廿三世 荒木 敏企
    所 在 地〒399-8103 長野県安曇野市三郷小倉3360
    電話/FAX0263-77-2595 / 0263-77-3880
     


     淨 心 寺 沿 革
     当寺は、一佛山光明院淨心寺と称し浄土宗総本山知恩院の末寺である。小倉城主小笠原但馬守貞政(おがさわらたじまのもりさだまさ)の草創とされ、 天正6年(1578)北小倉鳴沢入りの円山に創立された。開山は専念寺(豊科町真々部)の大五世泉譽上人(せんよしょうにん)といわれる。

     第十三世明譽上人(みょうよしょうにん)の天明年間に、山火事により寺を悉く(ことごとく)消失し、北小倉中村の裏山(鎮守山)に境内を移し、同6年(1786)に再興された。このとき、本堂・庫裏・山門等を建立した。境内地には霊聖院(れいしょういん)・真立軒を擁した。なお、梓川村北大妻の唯称院(ゆいしょういん)、南大妻の光入寺(こうにゅうじ)、岩岡の音声寺(おんしょうじ)、三郷村住吉の善福寺(ぜんぷくじ)等の末寺があった。

     明治初年に松本藩のとった廃仏毀釈政策により廃寺となり、同6年からは小倉学校としてしようされた。

     同18年(1885)に至って、第廿世上嶋貞巌和尚(かみじませいがんかしょう・同34年遷化)により現在地に再興された。庫裏がまず新築され、その後同23年頃に、旧本堂を再建した。

     大正年間第廿一世村上徳源和尚(むらかみとくげんかしょう)により、八間四面の本堂の改築を予定していたが、経済不況の為中止となった。

     第廿二世村上隆澄和尚(むらかみりゅうちょうかしょう)は、老朽化した庫裏を昭和57年に改築し、平成8年(1996)本堂の改築を発願した後、同9年5月15日志半ばで遷化された。後を継いだ現住職により、同12年(2000)新本堂が完成の運びとなった。

    豊潤な自然に囲まれた淨心寺

    安曇野の山裾に位置する淨心寺は、背中に北アルプスを擁し、目前には美しい田園風景を見下ろす豊かな環境に恵まれています。

    青々とした樹林に抱かれる境内には、生命力豊かな木々の香りが満ちています。

    冬は寒さが厳しく雪も深いですが、雪解けとともに春の訪れを体いっぱいに感じ取れる環境は、自然に対する畏怖や季節感が薄れた現代に於いては、たいへんに貴重な空間とも言えます。


    淨心寺のご本尊

    勢至菩薩(左側) 阿弥陀如来(中央) 観世音菩薩(右側)

    • 阿弥陀如来: 総丈 百五十九糎(座像)
    • 観世音菩薩: 総丈 八十二糎(立像)
    • 勢至菩薩: 総丈 八十糎(立像)

    台座の底に下記の銘がある。

       
    • 天正十四戌年(1586) 建立之凡二百年也
    • 泉譽代天明六年(1786) 本尊観世音勢至
    • 地蔵内佛善導圓光今上牌代佛師庭正作 明譽代再興

    明治初年に廃仏毀釈の難に遭い、第廿世上嶋貞厳和尚(当時19歳)は、本尊佛、開山上人像など主な佛像を梓川村下角影の生家へ預けられた。明治18年に当寺が再興されて、佛像を迎える。今回本堂改築の際、京都で破損部分の修復が行われた。


    本尊阿弥陀如来
    淨心寺本堂の本尊を阿弥陀如来を載せました。

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    愛染稲荷堂
    淨心寺の稲荷堂を載せました。

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    観音堂
    淨心寺観音堂の写真を載せました。

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    淨心寺本堂
    淨心寺本堂の写真を掲載しました。

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